Love at first sight❤️
@kith & @nike for @nyknicks
私は待ち合わせに便利だそうです🤣
かなり派手だけどめちゃくちゃお気に入り。
#nike #kith #kithnike #nba #newyorknicks #me #hoodie #ootd #outfit #fashion #instafashion #coordinate #casual #loveatfirstsight
#ナイキ #キス #フーディー #パーカー #ファッション #中田奈沙 #コーディネート #コーデ #一目惚れ #衝動買い #派手BBA #カジュアル
同時也有6部Youtube影片,追蹤數超過7,420的網紅まとめまとめの,也在其Youtube影片中提到,【まとめのまとめ】 チャンネル登録はこちら https://goo.gl/QN6ioA 小学生の時友達と祭りに行った。 友達が露店でプラモデルを 買ったんだが、 後で中身を見たら部品 (モーターだったと思う) が無かった。 それで買ったところに戻って、 その露店のおっさんに 事情を話し...
派手bba 在 まとめまとめの Youtube 的精選貼文
【まとめのまとめ】
チャンネル登録はこちら
https://goo.gl/QN6ioA
小学生の時友達と祭りに行った。
友達が露店でプラモデルを
買ったんだが、
後で中身を見たら部品
(モーターだったと思う)
が無かった。
それで買ったところに戻って、
その露店のおっさんに
事情を話したら一言
「お前が取ったんちゃうか?」
と言われ追い返された。
俺は姉ちゃんから
「おもちゃが欲しかったら、
ちゃんとしたおもちゃ屋で買え。
露店は信用出来ない」
と言われてたので祭りでは
食べ物しか買わない。
(リンゴ飴とか)
大人になって会社の先輩と
香港に行った時、
露店で腕時計を売っていて
俺が嬉しそうに見てたら先輩が
「露店はやめとけ。
買うなら店で買え」
と同じことを言ったのが
衝撃だった。
いや、露店は辞めとけ店で買えよ
露店で買ったという
思い出用なら構わないんだけどね
高級品や機械ものは露店で
買うなは常識だと思ってた
誰だったか芸人さんが
「香港の露店でROLEX
買ったら帰国後Rの棒が
とれてPOLEXになった」
と言っていた
親がやはり香港の露店で
ちょっとしゃれた腕時計を
買ってきたらすぐに長針が
外れてしまって
ふわっとしか時間の
わからない時計になった
だべものも、買う気しない
> 大人になって会社の
先輩と香港に行った時、
露店で腕時計を売っていて
俺が嬉しそうに見てたら
先輩がガキの頃の教訓が
何も活かされてない
先輩に止められなかったら
買ってただろ
買ってたと思う。
先輩が言うには、もし
不良品だったとして
露店だったら簡単に逃げられる。
店を構えてたら逃げ
られないから交渉が出来る。
その先輩は高学歴で頭
良かったんだけど
ユーモアがあって大切な
ことをよく教えてくれた。
まだ若いのに最近病気で
亡くなったのが残念…
生きる術を身に着けるのに
学歴関係ない
うん。
学歴なんて関係ない
単純にの常識がガキの
頃から何も成長してないだけ
夜店ではロクなものがない
事は常識だと思ったんだが、
最近は子供に教えないのかな?
まあ言われても実際に経験
するまでは理解出来ないものだよ。
だからこそこんだけ情報が
発達した現代ですら、
以前よりマシとはいえ
そういう露店が存在してる訳だし
さすがにもう学んだだろう
国内限定でいえば、
ちゃんとした店もお祭りに
出店することあるからそういうのや
自治会の役員さんとかが
子供向けにやってる食べ物
以外はテキヤ(ヤクザ)だから
食品は不衛生で質が悪く、
物はトラブルを金出して
買うようなものだよね
あの雰囲気にウキウキして
しまう気持ちはわかるけど
海外に関して言えば、
東南アジアの先進国以外は
空港内の店でも信用できない
知り合いが数十万出して
宝石騙された
祭りなんて雰囲気を楽しむ
ためのものなんだから
本格的な商品買ったり
衛生がどうとか言う人は
行かない方がいいだろ
だよねw
「実用的ないい時計を
安価に入手したい」
と思って夜店で買う奴
居たら怖えーよ
祭りってのは雰囲気を味わうもんだ
カラーひよこをつかまさ
れて結局普通の鶏に育って
悲しみつつ鶏飼ってる
知人に引き取ってもらったり
ミドリガメ数匹を可愛い
可愛いと飼っていたら
いつのまにか二十年経って
30cmになってたり
そうやって大人になって
いくんだよウチの姉みたいにな
そういえば金魚すくいの
金魚も二十年ほど生きて
30cmオーバーになっ
てたな嫁入り道具は
ミドリガメだった
家にでかい水槽たくさんありそうw
露天で買うのと、祭に行く
行かないは関係ないだろ。
祭りとか露天の趣旨を
履き違えてんだろという
意味の修辞であって
どこからどう読んでも
祭りの会場に行く
行かないって話をしてる
んじゃねーよどうせ何言っ
てるかわからんだろうけどw
悪いものが高く売られてる
ことは多々あれど良い
ものが安く売られてる
ことはまずないからな買う
余裕もない分際で高価な
ものを欲しがる
身のほど知らずが安いパチ
もん掴まされるなんてよくある話
色のドギツイ派手な陶器をさして、
夜店で買ったのか?
と言うイヤミがあったな
ちょっとした
アクセサリーや
置物程度なら露天も
アリだけど時計みたいな
精密機械は教わらなくても
本能的に危険察知するよね普通
綿菓子とリンゴ飴があればいい
俺は子供の頃にリンゴ飴が
欲しかったが
「食べきれないでしょ!」
の母の言葉についぞ食べる
ことはなかったその分、
大人になってからリンゴ飴
狂いになったから出来れば
子供の頃に大体の物は体験
させておいた方がいい
同じ様なことを言われ続けてたが、
ある年一度だけリンゴ飴を
買ってもらえた
が、体に悪いからと表面の
飴を全部剥がされて大半は
捨てられぼこぼこなった
生ぬるい串刺しの
リンゴだけを渡された
剥がされた飴は半分程捨て
られ残り半分は親と姉の腹に
あちこちぼろぼろになった
リンゴに泣きそうになっ
てたら食べられないなら
欲しいとか言うなと怒られた想い出
それはよくある話だな
小さい頃に抑圧さ
れた分だけ大人に
なってから狂ったように嵌まる
ゲームやマンガに多いらしい
マンガとゲームと
チョコレートがそうだわ
幼稚園までチョコレート
禁止で今はチョコ無しでは
生きられない体に
オモチャも捨てられ方が
トラウマになると大人に
なってから買い集めたりす?
人いるね
ねるねるねるねとかの食
玩系を全部禁止されてたし、
CMすら
「食べ物で遊ばせるな!
気持ち悪い」
と言って見せてもらえない
ような徹底ぶりだったが、
一人暮らしになった途端に
月イチで食いたくなる
人間になったよ
1番酷い時は毎日食ってた
リンゴ飴に狂うくらいなら
いいのでは
夜店の屋台くらいでしか
売ってないものだし
実はな、近所の市場に
たこ焼き屋があるんだが
リンゴ飴と
ソフトクリームが常時
置いてあるんだ
( ´゚д゚`)
エー
昔、露店の「わなげ屋」で
ボゥリングのピンの形の
時計があっておっさんが
それに輪を入れたんだが、
ピンのくびれのとこで輪が
引っ掛かった
それでおっさんはピンを
くれって言ったが、
露店のBBAは下まで
完全に通らないとダメって
言ってピンを渡さなかった、
そこで喧嘩になりKさつが
来てBBAは連行された…
そのおっさんの横でわなげ
してたんだが俺は誰も
居なくなったわなげ屋で
ボー然としてた…
大学の学園祭で屋台やって
こういうものを決して
食べてはいけないという
理由を理解した
まあ初めて飲食店でバイト
した時あるあるだな
周囲に食べ物の量も種類も
少なかった昔は、
縁日の屋台は夢にあふれ
てたと思うけど、
飽食の今の子供は
ああいうのに胸を躍らせる
ことあるんだろうか
まあベビーカステラの
匂いは永遠不滅だけどな
既に飽食の時代と言われて
いた20年前でも祭の
出店の食べ物は美味しく感じたわ
思い出補正と祭りの雰囲気
補正があるんだろうな

派手bba 在 まとめまとめの Youtube 的精選貼文
【まとめのまとめ】
チャンネル登録はこちら
https://goo.gl/QN6ioA
イブなのに暇してるから話してく
私は首都圏で生まれ育った。
別段都会でもなく、田舎でもない。
至って普通の住宅地のど真ん中。
小学校まで徒歩2分という
素晴らしい立地に生まれ、
順調に進学した。
進学した小学校の真裏には、
神社があった。
便宜上、
神田神社とする。
幼稚園の頃から毎日前を
通っていたけれど、
初詣や縁日、
お祭りなんかでしか
立ち寄ったことはなかった。
理由は一つ、怖かった。
神社の入り口にある大鳥居も、
その側にあった樹齢百何年の
御神木も、
それらを守るように覆い
茂った何十年もかけて育ち
上げた木々たちも、
全てが子供心に怖かった。
神主も宮司もいない鬱蒼と
した神社だけど、
本殿が古臭いくせにいつも
整って綺麗で、
そのアンバランスさも少し
不気味に感じてたのかもしれない。
なのでその神社が何を奉って
いるのか、
どういう由来があった
のかなんて勿論知らない。
周りの大人もあまり知らない
みたいで、
神田様や神田さんなんて
ざっくりと呼んでいるだけだった。
なので私自身も、その神社に
興味を向けたことはなかった。
小学校二年生の時だった。
何の授業かは覚えていない。
生活か道徳だったように思う。
何故だか急に小学校の
屋上から富士山を見て
みようという話になった。
普段は施錠されて立ち入る
ことも出来ない屋上という
非現実に小二は沸いた。
私も沸いた。
わくわくしながら取り敢えず
自分の家を探した。
なんせ徒歩2分、自宅は
すぐに見えた。
ウォーリーを探せより簡単だった。
今度はピアノの先生の家を
見つけてみようと思った。
ピアノの先生の家はうちとは
反対側の、
学校の裏にある。
なのでみんなから離れて、
反対側の下を覗き込んでみた。
神社があった。
聞いてます
聞いてる人いてくれてよかった
リアルも一人2ちゃんも
一人じゃ立ち直れないところだった
陰鬱としてただ怖いだけの神社が、
真上から見るとだいぶ違う。
祭事でも公開されない本殿の奥が、
上からだとよく見えた。
塀に囲まれた四角い何もない
空間一面に、
真っ白な砂利が敷き詰められていて、
そのど真ん中にこれもまた
真っ白な狐の石像があった。
稲荷族か
私はこの時生まれて初めて
何かを見て、
綺麗だと思った。
薄暗い神社の一番奥、
そこだけが本当に一面真っ白。
綺麗で、ちょっと寂しかった。
結局富士山は見えなかった。
富士山の方角に、少し
大きめのマンションが建って
いてちょうど視界を遮る形に
なっていたせいで。
去年は屋上から見えたのに、
と零した先生の言葉はよく
覚えている。
屋上にいた時間は短かった。
なので私が神社を眺めていた
時間も短かったはずなのに、
どうしてもあの光景を忘れ
られなかった。
また見たいと、何度も思った。
校舎は4階建てだったけど、
4階のどの窓から覗き
込んでも神社の全貌しか見る
ことは叶わなかった。
どうしても本殿を囲む高い外壁が、
あの白さを覆い隠してしまう。
親や先生に聞いてみたところで、
分かったことはずっと昔から
ある稲荷神社だという
ことだけだった。
稲荷神社の意味は図書室の
本で調べた。
狐を奉っているのが稲荷神社。
ならばあの白い狐は神様だ。
余計見たくなった。
そこで私に救いの手を
差し伸べたのは同じクラスの
とくちゃんだった。
私が図書室で神社仏閣の
本ばかり読み漁っている姿を見て、
声をかけてくれた。
とくちゃんのお祖父さんは
別の地方で神社を管理して
いるらしく、
そういうことなら少し
分かるよと話を聞いてくれた。
神田神社の由来を、少しなら
知っているととくちゃんは言った。
大昔、この辺りに一匹の狐が
住み着いた。
畑を漁って細々と生き抜いて
いた狐はある日犬に襲われた。
追いかけられた狐はとうき
びの畑の中に逃げ込んだけれど、
葉っぱで体に切り傷が出来た。
びっくりして畑から逃げ出した狐を、
犬はまた追いかける。
慌てた狐は、次に山葵の
群小地に逃げ込んだ。
今後は山葵の茎にある棘で
狐は更に傷付いた。
またも飛び出し狐は逃げたけれど、
傷付いて弱った狐は遂に犬に捕まり、
殺されてしまった。
住人たちは狐に同情し、
小さな稲荷神社を作った。
だからあそこには犬を連れて
っちゃいけないし、
山葵を供えちゃいけないんだよ。
「嘘つけ」と思った。
山葵の茎に棘なんてない
ことは知っていた。
茎のおひたしはうちでよく
出るメニューだったからだ。
この辺りはずっと宿場町だった、
と生活かなにかの授業で聞いていた。
大昔は農地もたくさんあった
のかもしれない。
それでもこの辺りに山葵が
自生出来るような清流が
あったとも思えない。
でも話はまとまってるし、
犬に殺されたという
リアリティは感じ取れた。
それでも私の感想は
「よく出来た話だなぁ」
止まりでしかなかった。
なので私の顔には、不信感が
浮かんでいたのだと思う。
今思い返せばとくちゃんには
申し訳ないことをした。
とくちゃんはこの辺りに
古くから住んでる人に聞いて
みてたらいいよと
アドバイスをくれた。
当時の私の親友は、大地主の
家の娘だった。
近隣一体にあるマンションや
賃貸物件、
空き地や農地に至るまで、
土地という土地はその家の物。
同じ名字はほぼ全て一族。
その本家の娘が、親友の
あーちゃんだった。
すぐ近くに住んでいたので
あーちゃんとはほ毎日遊んでいた。
お祖父ちゃんんとお祖母ちゃんにも、
毎日顔を合わせていた。
昔の事を知っているBBAが
こんな身近にいたとは
聞いてます
聞いてくれてる人達ありがとー
その日の放課後、いつも通り
あーちゃんの家にいった。
あーちゃん家は入り口に
大きな門がある。
その門から家までがとても長い。
お祖母さんはよく、その
門から家の間にある芝生を
手入れするのが日課のようだった。
その日も、お祖母さんは
芝生に水をやっていた。
いつも通り挨拶を交わして、
「学校裏の神田神社について
知りたいんですけど、
何か知りませんか?」
と。
「あの神社の管理は
うちでしているから、
知りたいことは教えてあげられるよ」
と。
面白い。
お祖母さんの話を、麦茶を
添えてあーちゃんと二人で
聞くこととなった。
あーちゃんのお祖母さんの麦茶は、
砂糖が入ってるから余り
好きじゃなかった。
麦茶に手を付けず、
とくちゃんに聞いた話をする。
この謂れは本当かと。
「そんな話は聞いたことないねぇ」
お祖母さんはあっさり否定する。
「でも犬に殺されたってのは
聞いてるよ。
その狐を鎮めるために、
神田神社は建てられたのね。
節句の祭りで神楽をやっ
てるでしょう。
あの時に付けるお面は狐面だからね。
お狐様を奉って、
この辺りを守って
くださいってお願いしてるんだよ」
すごい信憑性があった。
寂れた小さな神社だけれど、
とある節句の時はわりと
大掛かりなお祭りをしていた。
初詣よりも縁日よりも、
節句のお祭りは派手。
神輿も出て神楽も催される。
それでも御神体は、
本殿の奥は公開されなかった。
屋上から本殿の中を見た
ことを話した上で、
「あの石像がまた見たいんです」
と頼んでみる。
「それは無理だねぇ」一蹴される。
「本家の人間なら立ち入られるから、
うちの養子になりなさいな」
帰宅後、母親にあー
ちゃん家の養子になると
言ってみるけれど、
「馬鹿言ってないで宿題しなさい」
の一言で話は終わる。
それからずっと、あの石像を
見ることは叶わなかった。
木を登ってみてもずり落ちて
傷が出来るだけ。
窓から身を乗り出してみても
先生に見つかって叱られるだけ。
欲求が溜まるまま、高学年に
なって転校をすることになった。
引越し先はそんなに離れて
いるわけではないけれど、
別の町に行くと神田神社に
行くことはなくなった。
思い出すことも少なくなった。
けれど他の神社に立ち入る度に、
あの白さを思い出した。
あそこほど綺麗な場所には
出会えなかった。
それから大分年を取って、
高校を出て一人暮らしを始めた。
それと同時に実家は以前の
地元近くに戻ることになった。
それでも一人で住んでいる
場所から実家まで1時間も
かからなかったので、
実家に帰ることはなかった。
なので神田神社に行くことも
なかった。
地元に立ち入ることは
なかったけれど、
思い出すことは多くなった。
一人で暮らし始めて6年ほど
経った頃、
2・3日実家に帰ることになった。
その頃働いていたお店の
お客さんがタチが悪く、
大分しつこくされていた。
教えていない携帯番号に
連絡が来たり、
住んでいる地域を特定さ
れたりということが続いた。
少し、疲れていた。
実家で少し気を休めるべきだと。
実家でインコのぴーちゃんに
癒されていると、
姉が神田神社の話を聞かせてくれた。
市内の神社に放火さ
れるという事案が続いていて、
神田神社もその被害にあったと。
近くに消防署があったお陰で
全焼はしなかったけれど、
被害はそこそこ大きかったらしい。
私はそれはもう憤った。
あんな綺麗なものを
燃やそうだなんてどうかしている。
憤った後、悲しくなった。
あの白さが損なわれて
しまったかもしれない、
という現実が辛かった。
話を聞いた次の日、姉と
一緒に以前住んでいた
ところに行ってみることになった。
駅から歩き、変わった
ところや以前通りのところを
見かける度にわくわくした。
以前住んでいた家も、
あーちゃんの家の立派さも
なにも変わっていなかった。
小学校も殆ど変化がなかった。
神田神社だけが、変わっていた。
大鳥居も御神木もそのまま。
本殿もぱっと見は以前通り。
なのに子供の頃からあんなに焦がれ、
中を見たいという欲求を
阻んでいた外壁が、
真っ黒になっていた。
外壁の一部は焼け落ちて、
あんなに見たくて
仕方なかった白い世界がだだ
漏れだった。
外壁は真っ黒だけれど、
中は子供の頃見た時のままに
真っ白で、
変わらず綺麗だった。
だからこそ悲しい。
白い世界を汚す黒さが、
ただただ悲しかった。
あんなに見たくて仕方なかったのに、
こんな見方をしたかった訳じゃない。
崩れ落ちたところから身を
乗り出して中を覗き込む
ことは憚れた。
まじまじと見ることは失礼に
感じたからだ。
その日は手を合わせて、
帰宅した。
なんとも言えない気持ちが
もやもやと広がって、
なんだか毎日がうまく
いかない気がした。
お客さんは相変わらず
しつこかったし、
街を歩けば犬に吠えられる。
猫カフェに行けば全ての猫に
威嚇される。
心が折れた。
実家から通えない距離ではないし、
そろそろ家も特定さ
れそうだったので、
いい機会だから実家に
戻ろうかと思った。
親に話すと大喜びだったので、
そこからは早かった。
そんなに好きな実家では
なかったけれど、
戻ると決めたら1日でも早く
帰りたくなった。
実家に戻ってからは大分
気持ちも落ち着いた。
神田神社はその時点でも
修復はされてなかった。
寄進が足りなくて修復
出来ないままらしい。
次の節句の祭りでは寄進が
集まるから、
修復はその

派手bba 在 まとめまとめの Youtube 的精選貼文
【まとめのまとめ】
チャンネル登録はこちら
https://goo.gl/QN6ioA
赤ちゃんがいるのに、
全然ママらしくしないママ友
アメリカ育ちらしいけど、
文化の違いなのか知らんがモヤモヤ
まず髪型が中村アンみたい
あれじゃ赤ちゃんの顔に髪が
かかって可哀想だし、
爪も伸ばしてはいないけど、
ラメたっぷりのネイル
化粧も濃い目で、赤ちゃんが
舐めたらとハラハラする
アクセサリーも、結婚
指輪ならいいけど婚約
指輪までしてるし
すごい大きいダイヤで、
危ないよって注意したら
「アメリカでは皆してますー」
え…ここは日本だし…
服装もショートパ●ツにヒールとか、
若い女の子みたい
20代だし痩せてるけど、
母親としておかしいと思う
赤ちゃんにも派手な格好させてるし
この前なんか赤ちゃんに
サングラスかけさせてて、
可哀想だよって言ったら、
「紫外線って目に悪いんですよ、
アマゾンで買えますよ!」
だって
親切で言ってるのに、
話が通じなくて唖然だわ
料理は好きじゃない、
働いてる方が楽しいとか、
子供とは別室で寝てるとか、
それでも母親?
と思うような発言ばっかり
いくら若くたって、子供を
産んだらママらしくしないと
子供が可哀想だよ
それはさすがに余計な
お世話じゃない?
そのママにはママの方針が
あるんだろうし。
逆に、あなたの赤ちゃんをみて、
「こんなに紫外線が強いのに、
赤ちゃんの目を太陽光に
さらしたままにするなんて、
可哀想。
将来失明してもいいのかしら」
とか思ってるかもしれないよ。
自分の常識は他人の非常識。
逆もまたしかり。
ママ友のショートパ●ツや
ネイルごときでネチネチ言うかぁ…
女って怖いなぁ…
「子供を産んだらママらしく
しないと子供が可哀想」
ってwww
単に自分が
気に入らないだけなのに
子供を大義名分にするその
神経が分からんわ
子供を産んだからって理由で
色んなものを我慢する母親を
見るとな、
当の子供は負い目感じて気分
悪くなるんよ
少なくとも俺はそうだった
確かにネグレクトは論外だし、
自分の仕事のために子供に
家事や弟妹の世話を
押し付けるのは立派な毒親だろう
でも、爪は伸ばしていない、
子供のためにサングラスを用意する、
辺りの情報を見る限りだと、
その母親は子供のこと
それなりに思いやってるんだろ
良い母親じゃないか。
他人に口出ししないと気が
済まない辛気臭いBBAと
比べりゃ十分すぎるぐらい
良い母親だよ
