#repost @serenaaoki28
私のパワースポット⭐️
#白糸の滝
#静岡
富士山の雪解け水が崖一帯から毎秒1.5t流れ落ちる滝⭐️
ここのマイナスイオンを全身に浴びると悪いことを吸い取ってくれて、自信とやる気が漲ってきます😆💪
ここに立ち寄ってから去年も良くなったし、パワースポットやトレーニングとしてここを訪れるアスリートが多いらしい😆🌸
#白糸ガーデン
帰りは白糸ガーデンさんに立ち寄って、「注ぐと富士が立つ!」と縁起が良くて評判の「大吟醸 さかさ富士」をお土産に頂いて帰るのが定番化🥰
ソフトクリームも濃厚で美味しいからぜひ食べてみてね🥰
#さかさ富士
#いつもありがとう🙏
夜はもう一つのパワースポット⭐️
#山かつ亭
今年も行ってきました🌸
川奈に来たら絶対に寄るカツ屋さん!勝つ!為にはここのカツを食べなくては!😆💪⛳️
今日は大将が「ホールインワンのお祝い🎉」と金目鯛の煮付けを作ってくれました🥰粋な計らいありがとうございます☺️🙏私はヒレカツとカニクリームコロッケ定食を食べましたが、サクサクで全然重たくないのでペロっと食べれちゃう美味しさです🤩👍
#loveandthankyou
#内山久美
#福山恵梨
地方に行ってもこうして暖かく迎えてくれる場所があるのって幸せなことですね☺️❤️
#人と人の繋がりに感謝
#一年に一度顔を出しに行く場所が増えることの幸せ
#また来年も良い報告ができますように
#私の成績を楽しみにしてくれてる全ての方へ感謝を込めて
#感謝
【 serenaaoki28 Instagram より】
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同時也有2部Youtube影片,追蹤數超過7,420的網紅まとめまとめの,也在其Youtube影片中提到,【まとめのまとめ】 チャンネル登録はこちら https://goo.gl/QN6ioA スカッととは違うけど、 嫁の武勇伝を語らせてほしい。 俺はもうあと数年で 定年という年齢なんだが、 嫁は俺より年下。 今から30年位前に、 親戚夫婦が事故で亡くなった。 血筋としては俺の従兄弟と そ...
一年に一度顔を出しに行く場所が増えることの幸せ 在 まとめまとめの Youtube 的最讚貼文
【まとめのまとめ】
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スカッととは違うけど、
嫁の武勇伝を語らせてほしい。
俺はもうあと数年で
定年という年齢なんだが、
嫁は俺より年下。
今から30年位前に、
親戚夫婦が事故で亡くなった。
血筋としては俺の従兄弟と
その嫁さんにあたる。
車で一時間くらいのところに
住んでいて嫁が妊娠している
ときに助けられた理、
逆に相手さんが妊娠している
ときに助けたりとかなり仲が
良かった。
その夫婦の娘も俺ら夫婦の
息子と年が近かったのも
あってかなり仲がよく、
子供特有の将来結婚する
ーなんて話もよくしていた
のを今でも覚えている。
そんな夫婦が亡くなったのは
自動車事故だったけど、
助手席に座っていた娘、
A子とするけど彼女だけは
無事だった。
奥さんは後部座席の右側に
座っていたのが原因で
助からなかった。
A子も酷い怪我で一年くらい
入院していた。
その間、俺親族、嫁、
従兄弟の嫁さん親族全員が
集まってA子をどう
するかという話合いになっていた。
嫁さん親族は既に年金
暮らしとなった老夫婦で無理。
俺親族、というが俺の両親も
ほぼ同様の状況。
俺も息子がいて、高校生で
大学受験を控えているため
金銭面に余裕はないのでどう
するかという話だった。
そんな時に嫁が俺と息子に
うちで引き取れないかという
話をしてきた。
俺は正直反対だった。
金銭の問題ではなく、
息子は思春期真っ盛りで、
息子を信じない
わけじゃないが男なら
わかると思うが性欲という
のはバカにできないものがある。
それにA子は両親を目の前で
亡くしたショックで殻に
籠ってしまっていて俺の
手には余る話だと思っていた。
そしたら嫁が、私は
掃除府でも何でもしてお金を稼ぐ。
息子の動向にも常に気を払う。
全ての責任は私がとるといいだした。
結局その言葉に負けて俺は承諾。
けど息子は渋っていた。
これは後から知った話だが、
中学になって行動範囲が
広がった息子はちょくちょく
A子と会って恋愛感情を
抱いていたらしい。
そして立場上、はとこに
あたるので結婚もできるので
そこまで考えていたそうだ。
ただ付き合っていたことが
露呈するのはまた別の
修羅場があったからで、
それは後程語る。
でも結論だけ書くと二人は結婚した。
息子は、A子と兄妹になる
のは嫌だといい続け養子
縁組はしないということで
最終的には了承した。
それから引き取ってからは
大変だった。
まず経過を見るとかいろいろ
あってA子を病院に連れて
いかなければならないんだが、
車に乗ることがトラウマに
なっていたので移動は自転車。
当時住んでいた家は山を
切り崩して作った住宅地、
切り崩したというか
切り開いたというべきなんだろうな。
起伏が多く、嫁や俺は
付き添いに苦労していた。
そして洗濯、毎日部活で
泥まみれになる息子と
おっさんの俺の服を、
A子のものと一緒に洗うのは
忍びないので男女別で洗う
ようになっていた。
その結果嫁の家事量が増え、
稼ぎに出るどころではなかった。
そのことに対して嫁からは
散々謝られたが、
ある日事件が起こった。
息子が部活をやめてきた。
小学生のころから入れ込んで
いた野球部をやめてきた。
その時の息子に、俺はひどく
怒ったのを覚えている。
お前は途中で投げ出すような
奴だったのか、
と怒ったのを。
そしてすぐに反省して謝った
のも覚えている。
息子は嫁と、俺と、A子を
支えたいからアルバイトを
するといって既に牛乳配達の
仕事を見つけてきていた。
嫁は涙を流しながら息子に
誤っていたが、
どうやってもレギュラーに
なれないし問題はない
みたいなことを言っていたと思う。
ただA子本人はまだ殻に籠っていた。
俺や息子には心を開かず、
嫁には少しずつ話をする
ことがある程度だった。
だから学校にも行って
いなかったけど、
俺はどう接していいか
わからず当時の同僚に年頃の
娘との接し方を聞いたりしていた。
息子もそのことは気にかけて
いて夜中にこっそりと俺に
相談してくることもあった。
そうしているうちに息子は
大学受験をする歳になって
バイトを続けることができなくなり、
このまま働くと言い出した。
けどそれは嫁が許さなかった。
俺はそれまでたばこや酒を
嗜んでいたがA子を引き取る
際にほとんどやめていたから
その分を貯蓄していたし、
息子を大学に行かせることに
苦労はないから安心しろと
いって受験まで学校の先生に
頼み込んだりして勉強をさせていた。
そうしてA子が来て数年、
うちに来た当時中学生だった
A子は高校生になる歳だったが、
ほぼ引きこもりで空ばかり
眺めていた彼女に行ける
学校はなくそのまま家事
手伝いとなった。
そうなると今度は嫁が動いた。
家事をA子に教え始めた。
最初は煮物がしょっぱすぎたり、
洗濯物から異臭がしたりと
散々だったがそのうち手際
よく家事をこなせるように
なっていた。
そのかいあってか、嫁も
当初の約束通り働きに出
られるようになった。
A子はそのころから変わり始めた。
こんなによくして貰って
いるのにとよりネガティブに
なった時期があった。
それを嫁が叱責した。
もし恩を感じているなら
暗くならないで前を向き
なさいみたいなことを言っていた。
その言葉を受けてか、
A子は徐々にだけど笑顔を
見せるようになってきた。
そして息子も大学生になった
ころA子はようやく完全に
立ち直って今までの遅れを
取り戻すように勉強を始めた。
勉強は息子が教えたりして、
そして遅れながら高校に入学した。
さすがに歳の差とか、
引きこもっていた間の
ブランクがあったり、
事故の時の傷が
あったりとかでうまく
溶け込めなかった
みたいだけど仲のいい友人は
できていた。
そして、これが息子とA子の
間に恋愛感情というか
付き合いがあると発覚した修羅場。
大学生の息子は当然だが性欲がある。
それは年老いた俺も同じ。
そんなわけで当時の俺も、
息子も下系の本を何冊か持っていた。
その本が、休日掃除をして
いたA子に見つかってしまった。
嫁はぺらぺらと本を
めくってはへーとかほーとか
うわっとか言っていたけど、
A子の口から衝撃的な言葉が
出てきた。
これだけは生涯忘れにと思う
ことばで、
鮮明に記憶に残っているんだが
「私と付き合っている
んだから私で発散しなさいよ、
ほかの女がそんなにいいの? 」
激昂するA子だったが唖然と
する俺をよそにバツの悪そうな息子、
そして大爆笑する嫁という
構図だった。
嫁はうすうす気づいていたらしいが、
おれは寝耳に水だったから。
とりあえずその時は俺が男の
性欲についてくしゃみの
ようなもので抑えきれる
ものではないということを。
嫁が異性としての
付き合いというのは子供の
遊びではないからしっかりと
否認などは必要だし
あんた達にはまだ早いという
ことを教えることとなった。
その結果、息子は本を買う
ことを容認されて、
A子は息子の部屋を
かたづける際は息子
同伴ということになった。
ついでにそういう行為は
互いに社会人に
なってからということにもなった。
それまでも、といっても
A子が事故が原因で殻に
籠るまでだから中学生と
高校生の二人はキスが
限度だったらしくそれ以上の
進展はなかったことを嫁が
聞き出した。
ついでに男の俺はそういう
話は聞かないでいいという
ことで部屋に押し込められて
いたから後から聞くことになった。
そうして奇妙な家族関係と
なったわけだが、
嫁は働いて、A子は息子の
ように学校に行きながらアルバイト、
息子も大学に行きながら
アルバイトをしていた。
そのうちA子が修学旅行と
なったんだが、
それが問題だった。
バス移動、つまりは車での移動。
うちにも車はあったが、
A子はかたくなに乗ろうと
していなかったがトラウマを
克服しようとし始めることになった。
これは本人の希望だった。
身体に傷があるし、
トラウマもあるA子は最悪
休むことも視野に入れていたんだが、
何かが吹っ切れたんだと思う。
まずは動いていない車に
触れるところから始まった。
最初はそれだけでも結構
つらかったらしく、
冷や汗を流しまくっていた。
その段階が平気になると、
車のドアを開けて中の
においをかいだり、
シートに触れたりして徐々に
慣れていった。
最後は俺の運転で近くの
スーパーまで買い物に
出かけて帰ってこれた時は涙を流して
「お父さん、お母さん」と
いっていた。
それからはA子は車に関する
トラウマも克服できて、
修学旅行で傷のことで
ひと悶着合ったらしいが
自力で解決するほどに
たくましくなっていた。
気が付けばA子も大学に入学、
息子はそろそろ就職という
時期になって今度はA子が
働くと言い出した。
今までさんざん世話に
なったのに大学に行かせて
もらおうなんてといいだした。
それを起こったのは俺、
ではなく息子だった。
というか俺がおころうとした
んだけど、
それよりも先に息子が怒った。
家族にそんな気を使うな、
父さんと母さんはお前の
両親になるんだし俺はお前の
旦那になるんだとか何とか
言っていた。
そう言った息子がやけに
大きく見えて、
ああこいつはもう大人なんだ
なって思った。
嫁はニコニコしていたが、
すっとたちあがって貯金
通帳を持ってきた。
そこにはA子が大学に
通っても余るだろう程の
金額が書かれていた。
俺の酒煙草代が浮いた分、
息子のアルバイト代でうちに
入れていた分、
A子がアルバイト代でうちに
入れていた分、
嫁の稼いだ分がそこには載っていた。
結果A子は大学に通うことになり、
息子はその後アルバイトを
していた工場で正式に働く
ことになった。
それからもちょくちょく、
時代的なこともあり問題は
あったんだが幸いA子は
巻き込まれることもなく
役所への就職を決めることになった。
こうして二人は社会人になって、
数年してから息子は給料
三か月分の指輪をA子に渡して、
A子はそれを快諾。
無事入籍となった。
この後二人で暮らすべきと
俺が強く勧めて、
嫁が貯蓄していた例の大学の
資金の残りを渡して断られたり。
二人で暮らすことは
決まったがあれこれ手助けを
しようとして子離れしろと
怒られたり。
二人がいなくなって気が
抜けたのか嫁が燃え尽き
症候群になったりと大変だった。
けど一昨日、息子から
泣きながらA子との間に
子供ができたという知らせが
入って嫁と一緒に涙蒼流して喜んで。
そんでお祝いってことで
A子が大好きだった嫁の
手作りクッキーやらを持って
二人の家に行ってきた。
それから親戚夫婦の墓に行って報告、
一までもちょくちょく報告は
していたんだけど今回は
ボロボロ泣きながらの報告に
なってしまったよ。
最後にA子にまつわる
修羅場を書いておく。
それは二人の結婚式で
感極まったA子が
「バージンロードを本当に
バージンのまま歩くことが
できたのは華族のおかげです」
と謎のカミングアウトをしたこと。
俺や嫁はそのあたりきつく
見張っていたけど、
どこかしらでそういうことも
あるんじゃないかと思い
それとなく目立つ場所に
避妊具を置いたりしていた。
何せ四六時中監視できる
わけではないし、
せめてやるならと思っていた
のもあるからな。
一度A子に
「二人ともこういうものは
見えないところにしまっておいて」
と怒られたこと
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【まとめのまとめ】
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昨日NHKで老人破産の特集
番組を見ていて思い出した修羅場。
旦那の実家は都会から半日
かけていくような田舎で、
姑はそこで一人で暮らしていた。
舅は既に鬼籍。
家はあるし、生活出来ない
ような不便な場所でもなく、
姑は老いによる病気を複数
抱えつつ舅の貯金で暮らしていた。
でもある時、姑が何気なく
話した将来設計にびっくり。
姑は、老後は何もかも全部
息子がやってくれると思っていた。
旦那実家は自営で、年金など
一切掛けていなかった。
途中からやり出したけど姑が
貰える年金は数万のみ。
舅の貯金は生活費で使ってしまった。
お金は勿論、自分が病気に
なった時の事も考えてない。
全くのノープランで、
息子が何とかしてくれると信じてた。
基本的には旦那実家で同居希望。
旦那が働いて私が家事。
地元の青年団に入って上手く
やって行ってくれ。
同居が無理なら仕送りと、
週一で家事をしにきてくれて
一週間分の料理を作り置いて
冷凍なりしていって欲しい。
足が悪くなったら車椅子で
散歩に連れて行って欲しい。
などなど、本当に完全に丸
投げだった。
一応姑を擁護すると、
まず嫌な人ではない。
のんびりした、ザ・田舎の
ばあちゃん。
嫌味はない。
贅沢もしていない、地味で
真面目で地道な人。
お金の事は舅に任せきりだった様子。
旦那も頭を抱えていた。
そういう伝統なの?と聞いたら
「とんでもない。
親父の親もお袋も親も、
自分達の事は
自分達でやっていた。
特に親父の両親は早く亡くなったから
お袋は誰かの介護や面倒は
見た事がない。
親戚も皆そう」
と、何故姑がそんなことを
思ったのか分からないと。
でも姑は頭っから
「老後は息子が全部やってくれる」
って
かなり昔から信じていたようだった。
嫁でいる間は夫が、姑に
なってからは息子夫婦が。
とにかく現実問題として、
姑はまもなく資金が尽きる。
私達は旦那実家では仕事が
ないので生活出来ない。
暫くは仕送りでも、姑が同居
希望ならばいずれはこちらへ
来て貰うしかないのだが、
こちらも食べ盛りの子供が3人。
郊外の広い家に引っ越す
必要が出て来る。
そうこうするうちに姑の
具合が悪くなり、
要介護に。
仕送り増額とデイサービスの
申し込みはしたけれど、
姑は不思議そうに
「なぜ息子や嫁がやらないのか?」
と言う。
近所にも、息子一家が
もうすぐ帰って来ますので宜しく、
孫がそこの中学に行く
はずですので仲良く
してやって下さい、
なんて触れ回る。
しかし悪気はない!
無邪気に信じている!
こちらも子供の進学や引っ越しや、
なんやかんやで物入りで
姑は一文無しに近い状態で
お腹がすいたと電話して来る。
ちなみにうちは共働き。
姑にこちらに来てくれるよう
旦那が言ったら、
姑は
「ここに家があるのにそんな
必要ない、
そっちは賃貸なんだから
こちらに住むのが良い、
お父さんが建てた家だよ?」
って反対。
でも郊外に大きめの家を新築
するから…と言うと今度は喜んで
自分の希望をたくさん電話や
FAXで送って来る。
お金が掛かる希望。
それも当たり前だと思って
いるようで、
ありがとうもなにもない。
私は今までの姑に対する
穏やかな気持ちが消え失せて
毎日苛々。
旦那がしきりに私に謝って
姑に電話を掛けているのが
哀れだった。
私の両親や両親の友人達は、
子世帯より余程資金は潤沢で、
お金も出すが口も出す!
孫ちゃんに貢がせて!
というタイプなので
老後は子供に丸投げ
するなんて考えられないらしく、
驚いていた。
姑の要求は続き、
同居したら公園に毎日行きたい、
孫の誰かに付き添って欲しい、
御飯は何時、猫を飼いたい、
庭に菜園を作りたい、
etc…
確かにそんな老後なら誰しも
最高だろう。
でも無理だよ!!
私も働いてるし子供も進学
準備や部活があるし!!
そう言ってもニコニコして
「楽しみね、お願いね」
実際はもっと凄い方言だから
聞き取れないんだけど。
向こうもこっちの言葉が良く
聞き取れなかったかもしれない。
これは本当に、私の家族の
今後は大変になる…と恐れていたら、
一年後に姑は癌で急逝してしまった。
末期の乳がんだった。
私達が手助け出来たのは
一ヶ月ほどで、
あっという間だった。
結局姑は私達に殆ど迷惑は
かけなかった。
引っ越しもなしになった。
旦那は不幸中の幸いだと
思うしかない、
と泣いていた。
私もそう思う。
今考えても、
もし本当にうちが姑を丸抱え
していたら
パンクしていたんじゃないかと思う。
少なくとも絶対に長女に
迷惑をかけたはずで、
回避出来て良かったと心から思う。
(事実、長女は
「私が頑張るよ!」と言って
いたので心配だった)
夫の実母が亡くなったのに
そんな事を思うなんて鬼だけど…。
そんな事があったから、
あの老人破産の番組は胸が
痛かったよ。
田舎のご老人は、子供が全部
やってくれると信じている人が
まだ結構いるのかもしれないね。
うちの姑もそうだよ
まだ若いけど、将来は面倒
みてもらって当たり前だと思ってる
姑はウザいがいい人な
んだけど舅がクソで、
それは姑も自覚してて
「嫁ちゃんに将来面倒みて
もらうことになっちゃうから、
舅より先には市ねないわ
私が舅の面倒みないと」
とか言ってるから
ナチュラルに
「大丈夫ですよみないから」
って笑顔で言ったらポカンと
したあとに
怖い冗談だねーとか笑ってたけど、
みないよ絶対
一年に一度顔を出しに行く場所が増えることの幸せ 在 意外? Facebookの結婚報告“3つの当たり前”マナー 的美食出口停車場
婚姻届提出時ではなく、結婚式後の報告になる場合は特に一度確認を。 また、敢えて知らせたくない人がいる場合は、“プライベートなこと”と考えて設定を変えるのもグッド ... ... <看更多>