お久しぶりです。
仮面女子の猪狩ともかです。
この度は沢山の方々にご心配をお掛けしてしまい、大変申し訳ありません。
私は4/11(水)に強風で倒れた看板の下敷きになってしまうという事故に遭いました。
その日は強風でした。ニュースになるくらい日本の各地でとても強い風が吹いていたそうです。
私はいつものように歩道を歩いていました。
突然強い風が吹き、建物の大きな看板が倒れてくるのがわかりました。
看板があまりに大きすぎてとっさに避けることはできませんでした。
気付けば看板の下敷きになっていました。
出せる精一杯の声を振り絞って「助けて…!」と口にしました。
その時はとにかく苦しく、早く楽になりたいという思いでした。
それからすぐのことだったと思います。
通行人の方が看板を持ち上げてくださって、救急車に運ばれました。
後から聞いたお話では、看板は建物の敷地を飛び越え歩道全体に覆いかぶさっていた状況だったそうです。
それから緊急手術を受け、ICU(集中治療室)に入院しました。
その後、HCU(高度治療室)を経て現在は一般病棟に入院中です。
主に負った怪我は、
・瞼裂傷
・頭部挫創
・骨折(脚、肋骨、胸椎、腰椎)
そして、
・脊髄損傷
その影響で両下肢麻痺。
私は歩くことはもちろん、自分の力で脚を動かすことすらできなくなってしまいました。
治る可能性は極めて低く、
今後、車椅子での生活を余儀なくされました。
体調・怪我は徐々に良くなり、今は自立した車椅子生活を送れるよう毎日リハビリに励んでいます。
退院は今から約3ヶ月後の予定です。
ずっと心配してくださっている皆さんにまずは早く「私、大丈夫だよ!」って言いたくてもどかしい日々が続きました。
でも私自身、状況を把握・受け入れるのに相当な時間が掛かりました。
なんて伝えたらいいんだろう?
私も時間をかけて受け入れたのに、いきなり【脊髄損傷】という事実を文字にして伝えたとき、応援してくださっている皆さんに更に悲しい思いをさせてしまうんじゃないか…。
自分自身が受け入れることに時間がかかったこと、ファンの皆さんに何とお伝えしたらいいか分からなかったこと、そんなことを考えていると、なかなか文章にまとめることができず、ご報告が遅くなってしまいました。
ごめんなさい。
きっと私自身、これから両下肢麻痺と付き合っていく生活について、知らないことがまだ沢山あると思います。
主治医から私への説明は、
「脚の感覚が戻るのには個人差があるので何とも言えません。とにかくリハビリを頑張ってね。」
とのことでした。
脊髄損傷について無知な私は、
「数ヶ月で治るのかな?」
「復帰のステージは笑顔でファンの皆さんに会いたい!」
「また始球式をやらせて頂ける機会があったら次こそノーバウンドで!」
なんて、ベッドの上で考えていました。
私には【脚が動かない】という未来が見えていなかったんです。
手術から数日後、父と姉と話しました。
姉「治ったら一緒にメットライフドーム行こうね!」
父「お父さんは甲子園も一緒に行きたいな。」
私「また始球式があるとしたらそれまでに治るかな!?」
父「車椅子でも投げられるんじゃないかな?」
私「えー、嫌だよ。治して投げる!」
父「…まぁ今はリハビリを頑張ろう。」
精神科医とも色々お話をしました。
突然 脊髄損傷で脚が動かなくなった患者に対しては、主治医と共に精神科医もつくそうです。
きっと家族や事務所、病院の先生方は私がショックを受けないように細心の注意を払ってくれていたと思います。
周りの反応や発言でだんだんと自分が思っているのと違うと感じたのは、HCUに移ってからのことでした。
その日は母と兄が面会時に来ていました。
本当のことを知ったら私は深くショックを受けるかもしれない。
でも覚悟を決めて質問をしました。
私「脚は治らない可能性の方が高いの?」
母「……うん。」
私「私に隠してた?」
兄「今はまず生きていく為に体調を戻さないとだから。」
私「そっか。」
母「でも先生はリハビリを頑張れば奇跡的に脚が動くこともあるって言ってたよ。それを信じて頑張ろう。」
私は歌も踊りも特別上手くはないけど、ステージに立ってライブをして楽しんでくださる皆さんの笑顔を見ると、またそれで自分が笑顔になって…
ファンの皆さんのおかげで“アイドルの猪狩ともか”でいることができる。
そんな時間が大好きです。
だからもちろん
【ステージ復帰】を目指していました。
でもこの事実を知って…
“歌って踊らなくなる時 = 卒業”
としか考えたことがなかった私は、踊れない猪狩ともかを想像することができなくて。
そんな状態の私に需要はあるのか。
いったい何ができるのか。
絶望しました。
事故に遭うまでこの先ずっと普通に歩けると思っていたし、踊れると思っていました。
急に脚が自由に動かせない、自分のものじゃなくなったような感覚になると思ってもいませんでした。
でも不思議と
“仮面女子としての活動を辞める”
という考えに至ったことは1度もありませんでした。
今後どうしたいか考えたときに
“車椅子の猪狩ともか”としての活動を
自然と想像している自分がいました。
そう思わせてくれたのは
支えてくれる周りの全ての人でした。
「車椅子に乗っていたって人を幸せにしたり喜ばせたり、誰かの希望になることは出来るよ。」
「ともちゃんは人を楽しませる、幸せにすることのできる子だから、どんな形であってもそれを続けてくれたら嬉しい。」
という家族の言葉。
「車椅子に乗って色んな場所行こうね!いっぱい遊ぼう!おばあちゃんになっても!!」
という友達からの言葉。
「その明るさで周りのリハビリ頑張っている皆さんのことも明るくしてください。みんなの光になってください。」
という先生の言葉。
「スタッフ全員、猪狩ともかと共にずっと活動していくって気持ちでいるよ。猪狩のやりたいことを叶えたいから何でも言ってね。」
という事務所からの言葉。
「どれだけ時間がかかっても待ってるから。いつでも戻ってこれるようにライブ盛り上げてステージ守るからね!」
というメンバーからの言葉。
そしてファンの皆さん。
劇場で黄色サイリウムや横断幕を掲げてくれて、回復祈願をしてくれたこと。
心を込めて千羽鶴(1209羽)を折ってくれたこと。
皆さんが一羽一羽心を込めて折ってくださったのと同じように、私もベッドの上で一羽一羽数えました。
#いがともちゃんがんばれ
という応援ツイートも見れる限り読ませて頂きました。
きっとハッシュタグがついていなくても心配や応援してくださる声が、たくさんあったと思います。
お手紙もたくさん受け取りました。
皆さんの温かさに何度も救われました。
夜にひとりで不安になったとき、皆さんの言葉が本当に救いでした。
皆さんの気持ちは確実に私に届いています。
心からありがとうございます。
私が大切な節目によく言う言葉、
【希望の光になりたい。】
こうなってしまった今もこの気持ちは変わりません。
脚が動かなくなっても、車椅子に乗りながらやりたいことはたくさんあります。
仮面女子の曲を作詞したいです。
ラジオや講演、司会など、お話する仕事をしたいです。
生きている限り埼玉西武ライオンズの応援をし続けていきたい、野球のお仕事をしたいです。
今回の事故を自分自身のために残すため、手記を本にしたいです。
挙げればキリがありません。
今までとは方向性は変わるけど、何かを発信していきたいという気持ちは何ひとつ変わりません。
そして最終的にはやっぱり、これは“神様の存在”とか“奇跡”という言葉になってしまいますが、脚が元通り動くようになって【アイドルとしてステージで踊りたい】です。
幸せなことに、待ってくれている人たちがたくさんいます。
このことが私の最大の励みになっています。
時間はかかるかもしれません。
元通りは無理かもしれません。
でも必ず笑顔で「久しぶり!」って元気な姿で皆さんに会いたいです。
事故があったあの日、まさか自分がこんな目に合うとは思っていなかったです。
家族も友達も、事務所のスタッフも、メンバーも、ファンの皆さんも、誰も思っていなかったでしょう。
あの日、たまたまあの時間に歩道を歩き、たまたま私が大きな看板の前を差し掛かったときに特別強い風が吹き、看板の下敷きになりました。
もし、看板の前に到着する前に、靴ヒモがほどけて直していたり、誰かから電話が鳴って歩みを止めてお話したり、喉が乾いて自動販売機で飲み物を買ったり、わずか数秒でも手前で何かをしていたら私は事故には遭っていませんでした。
もし、なんてことはないのは分かっているけれど、色んな偶然が重なって私の両脚は動かなくなってしまいました。
でも、命が助かりました。
目撃者のお話によると現場は酷い状況で、命が助かっただけでも有難い状況だったそうです。
私は生きています。
このことだけは何にも代えることのできない神様からのプレゼントだと思っています。
その分試練も与えられたけど、きっと越えられない試練は与えないはず。
よく、ドラマや映画で「明日何があるか分からない、今を大切にしよう。」という言葉を聞きます。
今までその言葉を大切にしてきたつもりではあったけど、改めて本当にその通りだと思います。
だからこれからどんなことがあっても、
向日葵のように上を向いて楽しくて幸せな人生を歩んでいく。
そして毎日を丁寧に大切に生きていきたい。
私は前を向いています。
もう心配しないでね。
これからも猪狩ともかを見守ってください。
そして一緒に歩んでいければ嬉しいです。
この先もずっと、よろしくお願いします。
It's been a long time.
It's also a masked girl igari.
I'm very sorry for worrying about so many people this time.
I was in an accident on 4/11 (Wed) that it was going to be the bottom of the sign that fell down with a strong wind.
It was a strong wind that day. It seems that there was a very strong wind in various places in Japan in the news.
I was walking on the sidewalk as usual.
I see that suddenly the strong wind blows, and the big sign of the building is falling down.
The sign was too big, so I couldn't avoid it quickly.
It was on the bottom of the restorative sign.
I said, " help me... with the best voice I can get.
At that time it was painful and I wanted to make it easier.
And I think it was right away.
A passerby was transported to an ambulance to lift up the sign.
From later on, it seems that the sign was covered in the whole sidewalk of the building.
Then I got an emergency surgery and I was hospitalized for ICU (Intensive Care room).
After that, I'm currently hospitalized in the general ward after the hcu (Advanced Treatment room).
The injury of the Lord is the one who is the one
Eyelid laceration
The head of the head
Fracture (legs, ribs, thoracic spine, lumbar vertebrae)
And then
Spinal damage
Due to the influence, both lower limb paralysis.
I couldn't even move my legs with my own power to walk.
The possibility of being cured is extremely low,
In the future, I have been forced to live in a wheelchair.
Health injuries gradually get better, and now I'm encouraging rehab to send an independent wheelchair life.
Discharge is about 3 months from now.
To all of you who have been worried about me, I wanted to say " I'm okay!" the days have continued.
But myself, it took a lot of time to figure out the situation.
What should I tell you?
I also accepted it in time, but when I told the fact that it was suddenly [spinal damage.... I'm going to make you feel even more sad....
I didn't know what to say to all my fans that I had time to accept it, and when I thought about it, I couldn't put it together in the writing, and I was late to report it. Yes.
I'm sorry.
I'm sure there's still a lot of things I don't know about the life that I'm going to get together with my lower limb paralysis.
My Doctor's explanation of me,
" I can't say it because there is individual difference in the sense of legs to return. Good luck with your rehab anyway."
That's what I was talking about.
I'm ignorant about spinal damage,
" I wonder if it will heal in a few months?"
" the stage of return is a smile and I miss you all my fans!"
" if you have a chance to be able to do the first pitch again, next is the no bound!"
What a thought on the bed.
I didn't see the future that [legs don't move]
A few days after the surgery, I talked to my father and sister.
Sister: " Let's go metlife dome together when it's healed!"
Father: " Dad wants to go with koshien too."
Me: " if there is another pitch ceremony, will it be cured by then!?"
Father: " I wonder if I can throw a wheelchair?"
Me: " eh, I hate it. Heal and throw!"
Father "... well now let's do our rehab."
I talked about a lot of things with psychiatrist.
It seems that there will also be a psychiatrist with a doctor for a patient who has suddenly lost his legs with spinal damage.
I bet the family, office, and hospital teachers paid close attention to me not to be shocked.
It's been a long time since I moved to hcu that I felt different from what I think about the reactions and remarks around me.
My mother and brother came to see me on that day.
I may be deeply shocked if I know the truth.
But I was prepared and asked a question.
Me: " legs are more likely not to be cured?"
Mother "...... yeah."
Me: " I hid it?"
Brother: " now I have to get back to life."
Me: " oh yeah."
Mother: " but the teacher said that if you go to rehab, you can miraculously move your legs. Let's do our best to believe it."
I don't even sing and dance special, but when I see everyone's smile that I'm going to stand on stage and enjoy it, I'm going to have a smile again...
Thanks to all the fans, I can be "idol igari"
I love time like that.
So of course
I was aiming for [stage return]
But know this fact...
"when you sing and don't dance = Graduation"
I've only thought about it, and I can't even imagine igari who can't dance.
Is there a demand for me in such a state?
What the hell can I do?
I'm desperate.
I thought I was going to be able to walk in a normal way until I was in an accident, and I thought I'd dance.
I can't move my legs freely, I never thought I'd feel like my own.
But wonder
"quitting activities as a masked girl"
I've never been to the idea of 1 degrees.
When you think about what to do in the future
Activities as "Wheelchair Igari"
I had myself that I imagine nature.
That made me think so
It was all the people around you who supported me.
" when you're in a wheelchair, you can make people happy or happy, and you can be someone's hope."
" I would be happy if you continue to do it in any form, because you are a child who can make you happy and happy."
The Word of the family.
" Let's go in a wheelchair and go all kinds of places! Let's play a lot! Even when I become an grandma!!"
A word from a friend.
" please light up all of you who are working hard on the rehabilitation around you with its brightness. Be the light of everyone."
The Word of the teacher.
" I feel like I'm going to work all the time with the whole staff, igari. Say anything you want igari to do."
Words from the office.
" I'm waiting for how long it takes. I'll make a live show and protect the stage so I can come back anytime!"
A word from a member.
And all the fans.
What a prayer and prayer for holding yellow thanos and banner at the theater.
It's been a long time since I've been in the middle of a paper cranes.
Just as you all broke with one feather, I also counted one feather on the bed.
#いがともちゃんがんばれ
I was able to read it as long as I can see the cheering tweet.
I think there was a lot of voices that were worried and cheering on me even if I didn't have a hashtag.
I received a lot of letters.
I've been saved by your warmth many times.
When I was anxious at night, everyone's words were truly saved.
Everyone's feelings are definitely delivered to me.
Thank you very much from the heart.
Words that I often say to a milestone that is important,
[I want to be the light of hope.]
This feeling doesn't change even now.
There's a lot of things I want to do while riding a wheelchair even if my legs aren't moving.
I'd like to write a song of a masked girl.
I want to do a job to talk about radio, lecture, emcee, etc.
I want to keep supporting saitama seibu lions as long as I live, I want to do a baseball job.
I want to book a note to leave this accident for myself.
There is no got.
The direction is changing until now, but the feeling that I want to send something is not changed.
And in the end, this is the word " God's presence " and " miracle but the legs are moving back, and I want to dance on stage as an idol.
Happiness, there are a lot of people who are waiting for you.
This is my biggest encouragement.
It may take some time.
You may not be able to get back to it.
But I'm sure to smile, " it's been a while!" I want to see you all in a good way.
That day when there was an accident, I didn't think I'd ever see this.
No family, no friends, no office staff, no members, no fans, no one would have thought.
On that day, I happened to walk on the sidewalk at that time, and it happened to be a special strong wind when I was in front of the big sign, and it turned out to be a sign of the sign.
If the shoe pimp is untied and fixed before I arrive before the sign, someone calls me to stop walking and talk, thirsty and buy drinks on vending machines, just a few seconds I wasn't in an accident if I was doing something in front of me.
I know it's not a thing, but there's a lot of coincidences, and my legs aren't moving.
But my life was helpful.
According to the witnesses, the site was a terrible situation, and it seems that it was a good situation to be able to save life.
I'm alive.
I think this is a present from God who can't replace anything.
I was given a test, but I'm sure I won't give you a test that can't be crossed.
I often hear the word " I don't know what tomorrow is tomorrow, I will take care of it."
I was going to take care of the word until now, but I think it's really true.
So no matter what it is from now on,
Looking up like a sunflower and walking in a fun and happy life.
And I want to live every day carefully and cherish.
I'm looking forward.
Don't worry about it anymore.
From now on, please watch over igari too.
And I would be happy if I could walk with you.
Thank you very much for your continued support.Translated
同時也有1部Youtube影片,追蹤數超過13萬的網紅おもちゃ箱,也在其Youtube影片中提到,【プロフィール / profile】:http://pojieblog.com/profile/ 【折り紙ブログ / blog】:http://pojieblog.com/ おりがみでつくる立体的なかぼちゃの折り方です。 基本は伝承折り紙の風船の作り方を応用して作ります。 空気を入れて膨らま...
かぼちゃ 折り紙 立体 在 夢運び隊リキシャーズ Rickshaws of Journey Facebook 的最佳解答
【クラウドファンディングスタートまで6日です】
少しこれから、6日間アピールと
カウントダウンさせていただきます😁
「すいませんお邪魔します。」
人力車で世界一周する大ばか者が、どんな人間なのか?w
語りたいと思います。
語彙脱字が、あればすいません。
※話すのは、好きですが…作文は、かなり苦手です。
☆今日のテーマは、「自分の経歴Part1」
まあ!!興味があれば、暇つぶしでも構わないので見てください。
自分は、1990.05.07京都で生まれました。窪塚洋介さんと同じです。
名前は、鈴木悠司です。ガッツ石松さんと同じです。
幼い頃は、よく女の子に間違えらました。
素敵な家族に恵まれ困ることなくすくすく伸び伸び育ちました。
ユーモアなオカンに恵まれて、とにかくいろんなところへ行きました。
京都で有名な大人の街”祇園”へは、なんと1歳からデビューしています。”笑”
今、思うとホント羨ましい。そのおかげで、入れるお店があるので感謝です。
※一見さんお断りで有名な場所です。笑
オカンとは、海、山、川、大人の街、細くいうと、スナック、居酒屋、カラオケ、ボーリングとにかく
飽きることなくず〜っと保育園、小学生の頃から、遊んでたイメージです。
そのせいか、今では多くの方と繋りがあり改めてその時の経験が、今になり生きています。
早くから、お酒の場にいたので、好きな食べ物は、焼き鳥、たこわさび、イカの塩辛、お刺身、です。笑
遊びすぎたせいか、勉強は、かなり苦手です。椅子にじっと座ることができないです。
得意な科目は、ありません。唯一マラソンだけが、得意でした。w
小学校の成績は、本当にやばくて…頭の形が、悪いせいやと真剣に想ってました。(頭の形が、絶壁なんです。)
勉強は、少し開きなおってもいました。w
すぐ影響されるので、ヤンキー漫画や、クレヨンしんちゃんなどを見ると勇気が出ました。w
自分の人生においての初めてのターニングポイントは、8歳の頃です。
初めて、オカンにJリーグ(プロサッカー)の試合に連れて行ってもらいしました。
今でも、忘れません…。感動して涙が、出るとは、このことでしょうか!!!
マジで泣きそうなくらい感動しました。京都サンガに(当時は、京都パープルサンガ)三浦知良選手(キングカズ)が、
いた頃でサンガの逆転勝利の試合でした。(京都パープルサンガ 3-1 ヴィッセル神戸 (三浦知良2得点、藤吉信次))
その時に、オカンに「俺、プロサッカー選手になるわ!!」と言いましてグッズ売り場で購入した紫のミサンガに夢を念入れ結んだことを今でもはっきり覚えています。
今想うと、あの時に、オカンにJリーグに連れて行ってもらってなければ、どんな人間になっていたか心配です。笑
それからというもの、一気に生活が、サッカーの一筋でした。J−マルカというクラブチームに入りました。
サッカーチームも自分で探し見つけて、初めて親なしで、自分一人で行動しました。
それくらいサッカーしたかったんやと思います。
「入団の時、おもろかったな〜。入団する際に、学年を間違えてはじめ1個上の学年で練習していたのを覚えています。笑
その上、サンダルで練習に行きまして気合でボールを蹴っていました。w」
ここで出会った、仲間や指導者には、ホント感謝してます。
とにかく夢中になり学校へ行く時も、どっかのユニホーム着たり、休み時間は、サッカーしたり、暇あれば家のガレージ前でボールを蹴っていました。※きっとサッカーしてた人は、同じやと思います。笑
一度オカンの車のサイドミラーにボールが、あたり取れてしまったことを覚えています。
ここで、人生で初めての土下座をしました。笑
中学になり、少しですが反抗期という時期でしょうか、
あんまり一緒にいるのが、嫌になりました。あ!オカンと!
頭も悪いし、悪いことも嫌いじゃなかったけどサッカーをしていたせいか、
そこまでグレることもなく警察などにお世話になることもありませんでした。
中学では、最高成績が26です。オール3を目標にしましたが、マジで無理でした。
サッカーのクラブチームに成績を提出するんですが、
何度か友達の成績表を名前だけすり変えコピーし提出した覚えがあります。笑
もし、この文章をコーチが見ていたら「あの時は、すいませんでした。」笑
高校には、サッカーをしていたおかげで、"物凄い野球が強い高校"へと学費免除で入れました。笑
「野球かい!!!!」※平安高校です、(現在、龍谷大学平安高校)
サッカーも弱くは、なかったので真剣に全国を目指して頑張りました。
残念ながら、全国へは、行けず最高成績もベスト4で終わりました。
そこまでカッコイイこと言えるほどうまくなかったですが、
今でも、全国へ出れなったことは、悔やみますし夢にも出ます。
かなりの練習量が、多いのと筋トレや走りが多いチームでしたので、
今、人力車をしていて物凄いそれが、生きています。
あの時のエグいフィジカル練習は、ここに繋がるのかと少し感じています。笑
部活の仲間が、走りすぎて「流れ星が、見える」って言うたのは、今でも忘れていません。笑
あと…この時期に
高校卒業と同時に初めて人の死というのが、どんなものか 感じました。
今でもホント後悔してて高校卒業式後に部活の卒団式があり、そのあと
友達何人かで、なぜか心霊スポットへ行きました。
その時は、何も起こらなかったんですが、自分自身は、すごく嫌な雰囲気を感じました。
朝、お家に帰宅し布団に入った直後に警察から電話が来ました。
内容は、おじいちゃんが、交通事故で今朝亡くなったのこと…。
その時に、なんて言えばいいかわからなくなりとにかく頭の中で、泣かずに"無"を感じてました。
当時、mixiが今のフェイスブックみたいに流行していてmixiニュースに自分のおじいちゃんが、
トップニュースで上がってた時は、さすがじいちゃんと!!感じました。
「サッパリや」が、口癖のギャンブル好きの楽観的な長距離トラッカーでした。
この時に、心霊スポットは、行かないほうがいいと思いました。
大学に入り、居酒屋のバイトも始め大好きなサッカーもまだプロを諦めずにしていましたが…
ここで、人生で初めての挫折を味わいます。
やはり大人になると少しづつ分かってくるんですね、
自分がプロになれる選手かなれない選手か…
でも、諦めきれない自分が、いました。足が二回折れても続けました。
今でもボルトが両足に入ってます。勝手に"ボルト鈴木というサイン"を作りました。
一番したいことが全然うまくいかず、大学では、居場所がない気がしました。
でも!!!諦めるのは、嫌いなんで応援団長したり人生で初めての坊主にしたりどこかしら楽しみを見つけ
日々を送っていました。大学生活も終盤にきて、このままじゃあかんということで、
心に決め”オカン"に聞きました。「俺…どうしようか?」するといきなしオカンがぽろっと
「"ブラジル"でも行ってきたら?」っと…俺は、まさかの発言にビックリしましたが、それと同時に
なぜかワクワクしました。昔から三浦知良選手やキャプテン翼に影響され
小学生の頃、ブラジルには、行きたいって言ってましたが、まさかのこのタイミング!!!
いや…むしろこのタイミングやと感じました。オカンは、送り出す際に「原点に戻ってこい!!」と言い
俺は、部活を夏休みの期間だけ休部しスパイクとポルトガル語の本を持ち30万を握りしめて
宛てもなくブラジルへと突っ込んで行きました。今思うとあの時の自分は、マジでチャレンジャーです。
むしろ何も知らなかったからできた行動やと思います。
ここでの話は、半端なく長くなるので少し飛ばしますが、
結果としてアメリカの空港で(トランジェト)ある日本人の方と出会いまして
ブラジルまで一緒に行くことになり、サッカーチームも紹介していただき
ブラガンチーノという2部のチームのユースへと1ヶ月間参加することができました。
寮に入り、ブラジル人と暮らし、まさかのネイマール(ブラジル代表)とも面会させていただくことにもなり
今思うとマジで意味がわかりませんが…笑
すごい良い経験が、できたのと純粋に久々にサッカーを楽しむことができました。
もし自分が、"アナザースカイ”に出れるなら間違い無くブラジルと言うでしょう。笑
これが、自分の初めての一人旅でした。
さすがに短期間の留学では、レベルは上がりませんでしたが、自分の中で決心がつきました。
「もうサッカーは、これで終わり。」ここで、初めて進んできた道にピリオドを打ちました。
同時に新たにしたいことが、見つかりました。それは、バックパッカー(旅人)です。
この時、すでに大学4年でした。ほぼ周りは、就活の時期でした。
さすがにこのタイミングで?って思われるかもしれませんが、
やりたいと思った時が、ベストなんです。その考えからか、一切就活をしなかったです。
まっすぐに旅人の道へと進んで行くはずでしたが、ここに来て新たなる経験をすることになります。
自分は、ヨーロッパに行こうと決め、
バイトを4つ掛け持ちし、急いでお金を貯めていました。
ある日、オカンと話しててオカンが、「ヨーロッパでなんかしながら旅したらいいんちゃう?」っと…
自分は、一度ブラジルでうまくいったせいか、とにかく何でもできると思ってました。笑
ほんと幸せなやつです。2人で考えた結果、ヨーロッパで国際交流として折り鶴を集める旅をしようと
なりました。そこでまたもや、オカンが、スパイスを加えてきました。「その折り鶴を被災地へと届けたらいいんじゃない?」
という話になってきまして…………はい。知ってる方もいると思いますが、
これが、きっかけで4年前に”鶴のひと声"という団体を立ちあげて”折り鶴10万羽プロジェクト”が、始まりました。
この話は、きっとフェイスブックのタイムラインを相当ハイジャックしてしますので、シンプルに行きます。笑
人生で初めての社会活動??そうですね。ひょんなことから、被災地へ訪問し初めて考えさせられた日本の現状。
今までニュースで見てた景色とは、全然違いました。こんなにも、同じ日本にいて違うのかよ!!っと感じで
居ても立っても居られない自分は、とにかくこのプロジェクトに全力を注ぎました。
何ならヨーロッパに行くことよりも、どうすれば折り鶴が集まるのか考えていました。
路上や、つながり、SNS、イベント、メディアなどで結果的に半端ない数になりました。
もちろんヨーロッパでも旅人や日本人学校、外国の方から集めました。
計15万羽近く集まり、東北へとクリスマスに届けました。
プロジェクトが、終わった際にすごく達成感もありましたが、同時にものすごくむなしくもなりました。
結局その時が、盛り上がっても被災地の状況は、変わらないし所詮折り鶴なんやと感じましたし
社会活動って、ボランティアって難しいなと学びました。
その時に協力してくれた方々には、すごく感謝してますし、今でも大事にしていきたいです。
※https://youtu.be/ga5woL7FUCU ※東北へ届けに行った際の動画です。
こうしてあっという間に自分の大学生活は、終わりました。
はい!!もちろん卒業は出来ました。これもまたびっくりな話で、
確実に卒業は、厳しいと感じてました。可能性が、4年後期でフル単位を取らないと
卒業できなかったからです。でも、なんとかして留年だけは、
避けたいのと親に悪いとすごく感じまして先生全員に自分が、作成したアピールDVDと手紙を渡し
卒業の発表日まで信じて待ちました。卒業ができることを知りマジで嬉しかったです。
この時、22歳です。
さあ!!いよいよ東京へ出てきます。この話は、また来年!!あああ!ッ!明日にします。
ここまで読んでくださりありがとうございます。あまり長すぎると疲れますね。
フェイスブックのタイムラインを多く使いすいません。
明日は、この続きをUPしたいと思います。「自分の経歴Part2」
やはり忘れないですね!!英語の単語は、すぐ忘れるのに。笑
自分を見つめ直すいい機会です。
よければシェア&コメント&超いいねお願いします。
東京力車 世界一周 人力車 俥夫 鈴木悠司
プロジェクト紹介ムービです。
https://youtu.be/iZXkHznkegk
かぼちゃ 折り紙 立体 在 おもちゃ箱 Youtube 的最佳貼文
【プロフィール / profile】:http://pojieblog.com/profile/
【折り紙ブログ / blog】:http://pojieblog.com/
おりがみでつくる立体的なかぼちゃの折り方です。
基本は伝承折り紙の風船の作り方を応用して作ります。
空気を入れて膨らませ立体的に仕上げたら
最後にモールをさせば完成です。
ジャック・オ・ランタンともいうそうです。
【材料】オレンジや山吹色などの折り紙 ( 15cm×15cm・一般的なサイズ)
モール (5センチくらい。)
【道具】マジック
たくさん作って飾るとなかなかのインパクトがあっていいですよ。
かごなどの入れて玄関に飾るのもお勧めです♪
おうちのインテリアやお店のディスプレイなど幅広くご活用いただければと思います。
How to fold a three-dimensional pumpkin made with origami.
The basic method is to apply traditional origami balloons.
When inflated with air and finished in three dimensions
Finally, the mall will be completed.
It is also called Jack-o-Lantern.
[Material] Origami such as orange or bright colors (15cm x 15cm, general size)
Mall (about 5 cm)
[Tool] Magic
If you make and decorate a lot, you can have a great impact.
It is also recommended to put a basket etc. on the entrance.
I hope you can use it for a wide range of items such as your home interior and store display.
その他の動画はこちらから。 ➡ https://bit.ly/2LHaYro
It is how to make a three-dimensional pumpkin ghost made with origami.
Halloween is perfect for the decoration
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