どこかに行くために飛行機に乗ったことがあるなら、フライトが数時間遅れた時のあの感覚はご存知ですよね?
しかし、驚きの18年間、空港から出られなくなることはどうでしょう!今回の動画は、まさにそんな不思議がある男性に起こったお話です。
タイムスタンプ:
どうしてこうなったのか 1:20
家族の秘密(昼ドラ調 😑) 2:03
おかしな方向へ行きだした時期 2:40
空港での生活 4:24
どうやって食いつないだか 4:40
悪循環 5:49
新しい書類が偽物? 6:59
スウェーデンの潜水士…? 😮 8:37
空港を去った理由 8:45
概要:
- ナセリはイランからの亡命を申請しました。4年間の間、様々なヨーロッパの国々から却下されます。しかし、1981年、ベルギーにある国連難民高等弁務官事務所がナセリに正式な難民認定を行いました。
- ナセリは成人後母親から、本当の息子ではない、と告げられます。ナセリの生みの親は、父親が浮気したスコットランド人の看護師だったんです。
-ヒースロー空港についた際、難民証明の書類を持っていなかったんです!ナセリは、ベルギーからパリへ向かう電車の中で盗まれたと主張しています。
- シャルル・ド・ゴール空港に到着すると、事態はよりおかしな方向へ進んでいきました。ナセリは、自身の難民証明書類を持っていなかったため、フランスの入管局も、彼の入国を許さなかったんです!
- シャルル・ド・ゴール空港に到着すると、事態はよりおかしな方向へ進んでいきました。ナセリは、自身の難民証明書類を持っていなかったため、フランスの入管局も、彼の入国を許さなかったんです!
- 大体は、レストランにあるお気に入りの赤いベンチで、本や新聞を読んだり、日記に自分の経験を執筆したりして過ごしました。
- 、彼の話は広がって、寛大な人達がナセリにお金を送るようになります。
- 1995年、ターミナル1での滞在が7年目に差し掛かったころ、ベルギーは郵送で必要書類を送付することに同意します。さらに、フランスは、ナセリに居住権を認めました。
- しかし、彼の新しい書類は彼の元々の名前であるマーハン・カリミ・ナセリの名になっていて、国籍はイランと記載されていました。ナセリは、これが正しくないと主張。
- ナセリの弁護士は、クライアントがはじめはかなりの切れ者で、話に筋が通っていた、と話しています!時間がたつにつれて、話が変わってきて、いろいろごちゃごちゃになり、信ぴょう性がなくなってきてしまいました。
-2006年、ナセリは初めて空港に降り立ってから実に18年後、空港を去ります。しかし、本人の意思ではありませんでした。体調を崩して病院まで運ばれ、そこで6か月を過ごします。
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声の提供
荘司哲也 さくらい声優事務所
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